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2023 / 10 / 24  15:28

NewBike 〜Brighton〜

NewBike 〜Brighton〜

 30年間、デザインとアイデアをずっと構築し続けた自転車がやっと出来上がりました。

Brightonのストーリーです。

 

私とRoadster

私とロードスターの出会いはニューヨークだった。1980年代

金も無いのになんとか苦労してノースウエストの飛行機に飛び乗ったのは

初秋の頃、今のようにインターネットのない時代、日本から予約できるホテルは

高級ホテルばかり、ケネディ空港に降り、観光案内所で1泊目のみ予約をし

チープなホテルに空きが無いか宿泊のホテルの電話帳を見て、電話をかけまくり、

40泊泊まれるホテルとして予約したのがYMCAバンダービルドホテル、シャワー、

トイレは共用で部屋の住人はゴキブリが数匹、でも結構居心地は良かった。

マンハッタンでの移動は自転車と決めていたので、翌日、近くの自転屋店に行き

価格も安いこともあり憧れのイギリス製のロードスター茶色の”ラレー”を購入、

40日間のNYの相棒として昼夜を問わず私と暮らした。

 

ロードスターの話を少し書くと”近代自転車の基礎を作った”とされる自転車で

今でこそロードスターというとピンとくる方は車を思い浮かべるに違いないが

私の記憶が正しければ自転車での呼び名の方が多少古い気がする。

 

又、ロードスターという名は英国のラレー社を想像するが泥除けの形状、オールスティール

のフレーム、ゆったり握るハンドル、大きいライトやベル等などこれほど、真の質実剛健を

絵に描いたような自転車は無いと確信している訳で…..

 

それを何故、今我々のファクトリーで復活出来たのか、それは奇跡の物語である

日本に帰国後、ラレーの信奉者になった私は輸入自転車業を生業にしていたこともあり

その当時まだ新車で残っていたロードスターを国内、海外問わず買い漁った

英国製という事もあり英国からの輸入も数台あったが、当時圧倒的に生息していたのが

アメリカであった、東海岸、西海岸の小さな町の小さな自転車店の片隅に埃を被り

何年もの間、人知れず眠っていたロードスターを発見した時の喜びと興奮は想像を絶する

ものであった。

 

確か1995年くらいであったろうかロサンジェルスの近郊の街、ポモマで出会った1台の

ラレー、もちろんセオリー通りに作られたロードスターであった、ただ違うところは

タイヤ系が24インチ、リアブレーキが足で操作するコースターブレーキであった事

だった、色はエンジに近い赤色、紛う方なき本物の英国ラレーであった。

 

帰国後、どうにかしてロードスターを作れないか、その当時(1990年初め)まだ日本の

自転車メーカーや部品メーカーも元気で、ある程度の要望は聞き入れてくれる土壌には

あったもののロードスターを作るには時間が経ち過ぎていたのである、そんなとき偶然

というのか、以前英国ラレーに泥除けとチェーンケースのセットを納めていたメーカーが

工場移転のため中を整理していたとき見つけたのが、今回制作したロードスターの泥除け

である、10年間はラレー型の自転車を作らないという約束のもと、50台分と少量では

あったがすぐに購入しのである。

 

購入から30年弱、誇らしげに持っていたパーツを中心にパーツもなるべく当時と同じものを

探し、今ここに完成したのが私のロードスターである”BRIGHTON”である英国が好きで

英国の自転車が好きでロードスターが好きな私が作った世界に40台しか無い自転車

英国の皆様どうかお許しをいただいてあえて作らせて頂く光栄に感謝します。

 

(注 本文ではロードスターと英国のラレーとの対比が一緒になっていることが多々ありますが

  私の中ではロードスターと英国のラレーは同一のものと捉えていることをお許しください)

 

 

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